不払い残業問題─2人ぼっちの大戦争


── まず、お二人が連合福岡ユニオンに加入した目的や経緯などを簡単にお話していただけますか?
: うちの会社では以前から不払い残業が常態化していたんですが、ここ最近は代表取締役の独断的な経営に拍車がかかっていて、「このままでは気持ちよく全力で仕事ができない」という危機感から、社内組合の結成を考えるようになりました。
:なぜか、2人同時にそういう思いを持っていたのは偶然というか・・・・。
:2002年の初夏にHから社内組合結成の話を持ちかけられたんですが、私は偶然にもほぼ同時期に、ユニオンにEメールで不払い残業代のことを相談していたんです。今思うと、ユニオンとの接触はあのEメールが最初でした。
:実は僕の場合は、かなり早い段階から限界を感じていて、「組合しかない!」って思ってたんですよ。あのときはそれがもうピークの時期で、確か夏のボーナスカットの理由が「アメリカ同時多発テロによる将来の不安」だったんで、「もうこりゃダメだ」と思ったんですよね(笑)。で、思い切って社内労働組合結成の気持ちをRに話したら、「私もです!」って感じで。
:あの「同時多発テロ…」発言を聞いた時は椅子から落ちそうでした、本当に。うちの会社はいつからそんな国際的になったんじゃ!って。ユニオンからも「組合を作ってみては」というアドバイスをいただいたので、有志4人で準備を始めたわけなんですが…。

──なるほど、ある意味、なるべくしてなったということですね。しかし、社内組合結成はダメだったんですか?
:準備委員会の結成には至ったのですが・・・・
: Hと私以外の2人の社員が「法律をかさに着て会社を弾劾する労働組合というやり方は卑怯だ。格好悪い。」と言い出して。
: そうなんですよ。「組合なんて、格好悪い。だから、僕らは僕らのやり方で会社を変える!」という捨て台詞を置いて、結局準備委員会は崩壊してしまいました。あの時はショックでしたよね?
:法律をかさに着てるわけではなく、労働者は使用者に比べると弱い存在だからこそ「法律に守られている」ものなのに…と思いました。残念で仕方なかったです。
:いわゆる労働三権は労働者に与えられた「当然の権利」という意識が労働者自身に欠けている。労働組合を毛嫌いする多くの経営者も素人なら、同じように労働者も素人になっているんだと思いますね。

──実際に、準備委員会は機能していたんですか?
:準備委員会の皆勤賞は、じつはHだけで、全員が集まるのは非常に困難でした。「仕事が優先」という前提がなんとなくあったので。途中で脱退を宣言した二人の出席率は特に低かったので、準備委員会崩壊の予感はうすうすあったんですけどね。組合結成の話をしているはずが、いつのまにか上司の悪口大会に…なんてことも多かった。
: ほとんど「愚痴の広場」状態でしたね(苦笑)。
:そうそう、愚痴だけで夜半近くまでかかったことも…(遠い目)。法律もそうですが、結成の手順から、委員の選び方、準備する文書の種類に至るまで、とにかくわからないことだらけで。知識が絶対的に不足してましたよね。
:そういう意味では、準備委員の選出に問題があったということなんでしょうけど。まぁーしかし、「九州男児ってどうしようもないわ」って正直思いました(笑)。
:Hは京男ですから、はんなりと柳のようにしなやかで粘り強かった(笑)!準備委員会が崩壊してから数日間はショックが残っていましたが、Hが決然と「僕一人でも組合は作る。Rさんはどうする?」と聞いてきたので、「九州女児も頑張らねば!」と思って、準備の時にずっと相談に乗ってもらっていたユニオンに加入を決めたという次第です。
: いやいや、ほとんど僕はヤケクソでしたもん(笑)。「このまま泣き寝入りはゴメンや!」って感じでした。でも、ほんとに九州の女性は「心根が強い」と思いました。

──準備委員会の崩壊が連合福岡ユニオンの加入への決断となったんですね。加入したときの気持ちはどうでしたか?
:「外部加入」というのが私にとっては全く新しい形だったので、どんな風に進んでいくのか、不安と期待が半々でした。書記長のことはユニオンのアドバイザーの方たちから「武闘派」とお聞きしていたし、最初にお会いした時は緊張しました(笑)。実際はすごく気さくな方だとわかって一安心でしたけどね。
:加入を決めたその日、会社を出てユニオンに向かう道すがらは、「肩で風切る」感じで歩いていきました(笑)。「よーし!やってやる!」って心の中でつぶやいてましたもん。
:私も「戦闘開始!」という心境だったなあ、そういえば…。私の中でもどこか「組合に入って会社をこらしめる」という考え方があったのかもしれない。何も最初からケンカする必要はなくて、あくまで「交渉」なんだっていうことは今だからこそわかりますけど。
: 振り返ってみると、「2人はまだ若かった」のかな(笑)?

──しかし、たった2人の組合で、加入してさっそく「要求書」を会社に出したんですよね?どのような内容だったんですか?
: とにかく、気持ちが焦っていましたよね?だから、非常に大きな話を会社には叩きつけるかたちになってしまったんですよ。
:「不払い残業代の全額清算」という、合意に至るまでに相当なエネルギーのいる要求に加えて、人を増やせ!とか、コスト削減の数値目標を示せ!とか、会社の裁量権にかかわることまで要求として突きつけました。組合員は2人だけなのに「掲示板の設置を許可せよ」って言ってみたり。
:団交の場で逆に書記長の方から「まぁー2人だから掲示板はいらないけど」とまでいわれてしまいましたよね(笑)。結構あの書記長の一言は、僕にとってショックやったんですよ。情報をオープンに展開することが組織拡大の第一歩だと感じていたので。
:「少数組合の悲哀」第一章でしたね。会社側も「他の社員の意見を聞かなければ」と言っていましたしね。

──お二人にとって「団体交渉」は初めての経験だったわけですよね?緊張とかはなかったですか?
:正直言って、机の下でヒザがガクガクいってました(笑)。
:私も緊張しました。メモを取ろうとしたら手が震えて字がヨレヨレ(笑)。会社に対して言いたいことはたくさんあったけど、緊張で言えずに飲み込んでしまうこともありました。
: ですよね。ケンカではなくあくまでも「交渉」だと思えば思うほど、「理性」と「野性」がぶつかり合って・・・・ヒザはガクガク、声はヨレヨレで(笑)。しかし、Rはすごくしっかりしていると思いました。「女性は強い」って。めちゃめちゃ理知的で、淡々と主張していたように覚えています。
:いやいや、緊張で思考回路が止まりかかってたんですってば(笑)。会社側に「こいつ緊張してるな」と悟られないように静かな口調で話してたんです。でも会社側も「うちの会社はでたらめです」と自ら認める訳にはいかないのか、聞くと思わず笑ってしまうような言い訳をしてくることがわかってからは慣れましたよね。
: 僕ら以上に会社はズタボロでしたもんね(笑)。「ど・ど・どうして!ろ・ろ・労働組合なんかに!?」って。まぁー、書記長と書記次長を相手にしないといけないのだから、会社側がそうなるのも無理はないですけど(笑)。
:私たちがまるでテロ組織にでも入ったかのような受け止め方でしたよね。社内では組合の「く」の字も口にしてはいけないような雰囲気があったし。それは今でもあるんですけど。会社にしてみると、ユニオンのような、いわば「外部の人」から「あなたたちのやり方はここがおかしい」と指摘されると、けっこうグサッときていたみたいです。
:僕達がユニオンに加入した狙いでもあったんですよね。ユニオンという形態は、「外部」でもあり「内部」でもある。これが完全に「内部」だと御用組合に陥る可能性があるし、「外部」だと衝突し合うばかりでしょうから。その中間的なバランスに成り立つユニオンに、存在意義を感じたんです。
:社内で私達が主張して認められなかったことを、第三者に客観的に聞いてもらって、冷静な姿勢でバックアップしてもらいたかった。

──しかし、両人が要求した内容に関して、数回の団交を経ても何も決着しなかったんですよね?
:「不払い残業」の件が解決したのは、最初の要求から4ヵ月後でした。会社側は『君たちが時間外に本当に仕事をしていたかどうか疑問だ』なんて言いだし、「時間外労働」を巡って何度も団交を繰り返しました。
:その間、水面下でいろいろありましたよ。冬のボーナスの査定は著しく下げられたり、一般社員を対象とした会議から意図的に外されたり・・・・もちろんその度に、「ユニオン」を通じて「抗議」はしたんですけど。
:それ以外にも、私達を含めた一般の社員を会議室に集めて、会社は『君達のおかげで会社の業績も良く、期末手当を基本給の2か月分支給することになった』といいながら、『これを過去の未払い残業代の全額清算として受け取ってほしい』と全員に念書を取る騒ぎがあったんですが、それに対して私達以外の社員全員が捺印してしまったときはさすがに「もう救いようがない」と絶望のどん底に突き落とされた気分でした。「ユニオン」のサポートがなかったら今ごろ神経が焼き切れちゃってると思うぐらい、いろんなことがありましたね。
:たぶんそういった会社側の対応は「よくあるケース」なんでしょうけど、当事者になるとかなりの精神的ストレスでした。そんなとき、地域分会の世話人の方々にも励ましてもらって、ほんと救われましたよね。チョコレートに励ましのお手紙・・・・めちゃめちゃうれしかったですもん。
:「西日本リサーチ激励賞」と書かれたチョコレートね・・・・今だから打ち明けますけど、「激励賞」の文字を見た時は思わず涙がこぼれました。社内ではたった2人で孤立無援だったし、『弱みを見せてはいけない』とずーっと精神的に緊張した状態だったので、世話人の皆さんの思いやりが心にしみたんです。つまはじきにされてる私達に激励賞をくれるなんてーっとね。
:心身とも危うかったですからね。
:心が荒れたり、十二指腸が荒れたり、あちこちほころびが・・・・(笑)。組織拡大のため勧誘活動もしていたんですけど、賛同してくれるかと思っていた同僚たちが予想外に傍観者的だっただけでなく、『和を乱すなんて』という批判もあったりしたことは、会社側から疎まれるよりもずっと辛かったですよね。
:ほんとうに辛かった。もう社内に味方はいないとまで思いましたから。自分達がいったい何のためにやってるのか・・・・自暴自棄になることもしばしばありましたからね。

──その後の団体交渉はどうなったんですか?
:繰り返し団交を続ける内に、ようやく会社も「不払い残業の事実」を認めたんですが、3〜4回目の団交の時、会社側は私たちの残業時間をなんとかして少なく見積もるために、いろいろな資料をひっぱり出してきて「結局、君たちはタイムカード打刻分の24%しか残業をしていない」という主張をしてきたんです。
:要するに『君達の労働価値など会社からみれば2割程度のものだ!』っていうことだったんですよね。
:会社の信用を傷つけないよう、真摯な姿勢で残業をしてきたことを全面否定する会社の回答に、落胆と失望と怒りの念を込めて、2人がかりで悔し涙の抗議をしたところ・・・・。
:次の瞬間、会社側の態度が一変したんですよ。『こんな回答をして申し訳なかった・・・・』と、一気にパワーバランスがこちらに傾いた瞬間でした。あのとき、団体交渉をしていた会場全体に「天使が舞い降りた」感じでした(笑)。その団交が終わった後にRにも聞いてみたら、『私にも天使が!』って(笑)。
:会社側はずーっと強硬姿勢だったので、あまりに急激な形勢の逆転に『へっ?』という感じだったんです。そしたら社長と弁護士の後ろに天使の輪が・・・・(笑ながら以下自粛)。

──結局、本当の気持ちをダイレクトに表現するのが一番だったわけですね。
:ですね。それで、どさくさにまぎれて、長期アルバイト(現オペレーター)さんの期末手当支給もちゃっかりいただいちゃいました(笑)
: うちの会社は今期の業績が好調で、管理職には期末手当が出ていたのに、一般社員には「残業代として一定額を出した」ということで期末手当はなく、さらに「縁の下の力持ち」であるアルバイトさんには1円も出なかったんです。それで「もう期末手当はいらないから、その代わりアルバイトに期末手当を支給してくれ」とお願いしたら、それが意外なほどすんなりと通った。アルバイトの組合員は当時一人もいなかったにもかかわらずですよ!

──では、未払い残業代の件は完全決着を見たんですね?
:一応決着をつけました。
:とにかく長〜いトンネルを抜けて「ほっ」とした感じでした。ホントにいろいろありましたし・・・・。
:まぁでも、「不払い残業」の件が片付くや否や、ホントの意味での天使達(?)がユニオン加入を決意してくれて。
:一瞬のうちに7名の分会組織に拡大しました。つまり、一気に3.5倍増!
:これが一番の成果でしたね。

──今後の活動方針についてはどうですか?
:何度も繰り返してますけど、「労働条件向上」と「経営健全化」が大前提で、会社と組合が協調し合いながら、プラスの方向へ互いに持続的発展することが理想です。
:先日、分会の定例ミーティングでビジョンについて議論したら、みんなから色んな意見が飛び出して、最終的には『世界平和!』ってことになりました(笑)。
:とにかく、ひとつひとつ障害をクリアしていくことだと思いますね。誠意を持って粘り強く継続すれば、いつか『世界平和!』にもたどり着く・・・・かな?(笑)

上記記事は、連合福岡ユニオン機関紙「Uni-Press」平成15年7月〜9月に掲載された「ユニオンと私」を再編したものです。



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